私は津和野を引き上げました。

1994年 様々な事が重なり、私はその重圧に耐えきれませんでした。

 

    もう二度と立ち上がれないと思ったものです。

 

 

 

1995年 一年間は、何も考えられませんでした。

 

    思い出しては只、涙していました。

 

 

 

1996年 その涙も枯れ果てた時、「つづら工房」での残骸に目を向け、改めて

 

    このままでいいのだろうかと考えるように成りました。

 

    私は、自分が生涯歩み続けると決めていた「つづらみち」をここで断つのか

 

    と、自問自答を繰り返すように成り、思い切って友人に全てを打ち明ける

 

    決心をしました。

 

    友人は益田と出雲の人で、わざわざ柿木村まで来てくれました。

 

    随分、話しました。

 

    やがて友人は、

 

    「ふーーん、ちづるさんは、それで止めるの?」「止められるの?」

 

    「いえ、きっと止められないわ!」

 

    「こんなところでグズグズしてないで、何かしましょう!」

 

    「そう! 作品展がいいわ!」

 

    「岩国の鍛造の彼と私の絵とちづるさんのつづらで、作品展をしましょう。」

 

    「場所はここ! 柿木村で!」

 

    

 

友人の熱い思いが全身に伝わり、本当に有難かった。

 

辛かったことも、理不尽なそれも、全てかなぐり捨てて友人に支えられ

 

再び作ろうと決心した。そして、この時頂いた御恩は絶海に忘れないと思った。

 

今でも、感謝しています。

 

 

 

かきのきむらの「ふれあい会館」で「ワイルドアート展」

柿木村の小学校の生徒さん、保育園児さん、遠方の方から地域の方まで等、沢山の方にご来場頂きました事、まるで昨日のように思い出します。有難うございました。